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わが街の環境マイスター 自然が先生──生きる力を育てる
広瀬敏通さん
NPO法人「日本エコツーリズムセンター」代表理事

海外での難民救援活動を経て、30年前に日本初の自然学校をつくった広瀬さん。環境教育の枠を超えて、今日も人々の生きる力の復興≠ノ力を尽くす。


自然学校のスキルを災害救援に

 
 美しい海が突然牙をむいたあの日。東日本大震災の映像を見て、誰もが思った。自然の猛威の前に人は無力だと――。本当にそうだろうか。
「本物の海も山も知らずに、危ないとか、怖いとか、自然をイメージで語るだけでは何もできません」
 NPO法人「日本エコツーリズムセンター」代表の広瀬敏通さんは、本物の自然に触れて、その豊かさも厳しさも全身で実感する体験を積み重ねることが、人間の生き抜く力を引き出す命綱になるという。
 震災発生2日後、広瀬さんらは「RQ市民災害救援センター」を設立し、宮城県登米(とめ)市などで現地本部を立ち上げた。7月までにのべ1万人以上のボランティアを動員。行政の手が届きにくい小規模の避難所に入り、被災者のニーズに応じたきめ細かい救援活動を続けている。広瀬さんは日本の自然学校の草分け、「ホールアース自然学校」の創設者でもある。いまでは全国に自然学校が広がり、そのネットワークを活用できるのもRQの強みだ。しかしなぜ環境教育やエコツーリズム推進の第一人者が、災害救援なのか。
 「自然体験活動やエコツアーを運営していると、自然の中で人と人を、人と地域社会をつなぐコミュニケーション能力や調整能力が身についてくるんです。もちろんサバイバルの経験、技術も培われます。そうした能力が災害時の救援活動に活きると確信したのは、1995年の阪神・淡路大震災でした」
 押し寄せるボランティアを仕切りながら、救出活動や避難所の運営に奔走した広瀬さんは、混乱する現場にあって、自然学校のスキルやノウハウが驚くほど役に立つことを実感した。2004年の新潟中越地震の際に、メディアさえ入れない危険な地域にいちはやく駆けつけたのも、広瀬さんの率いるチームだった。
 
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自然学校のプログラムでは自給自足が基本。畑で野菜を収穫し(上)、鶏の解体も体験する(下)。食べ物が命であることを学ぶと、子どもたちは食事を残さなくなるという

 
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カンボジアの難民キャンプで救援活動にあたっていた若き日の広瀬さん(右端)
 
 救援活動の原点は70年代にさかのぼる。21歳で日本を飛び出した広瀬さんは、インドで障害児のための村作りに携わったのを皮切りに、カンボジアなどアジアの紛争地でNGO活動を展開。避難民の救援に明け暮れた。
「戦災孤児や障害児など、一貫して子どもたちに寄り添ってきました。だから81年に日本へ戻ってからも子どもに関わりたい、彼らが笑顔で遊べる環境を守りたいという思いは変わらなかった。ところが帰国してみたら……いないんですよ、広場や通りで遊んでいる子どもが。当時はインベーダーゲームが大流行。大人まで喫茶店でピコピコしていましたからね(笑)。この国はどうなってしまったのかと、すっかり浦島太郎の気分でしたよ」

子どもにはいっさい指図しない

 
 広瀬さんはその後、雄大な景色に「ひと目惚れした」富士山麓の村に居を構える。畑を耕し、鶏にヤギ、ヒツジやロバなどを飼う自給自足の暮らし。地域の人々には「村で最初のよそ者」と珍しがられ、いつしか子どもたちも動物見たさに集まってきた。農場が、そして周辺の豊かな自然が彼らの遊び場になるまでに、そう時間はかからなかった。ホールアース自然学校のはじまりだ。
「富士山には誰も知らない洞窟とか、原生林とか、面白い自然がいっぱいあって、僕も山岳部出身だからそういう場所はお手のもの。子どもらを連れて探検したり、キャンプしたりしていたのが、そのまま自然学校のプログラムになっていったんです。もっとも当時は『自然学校』という言葉さえなかったのですが」
 
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東日本大震災では多くのボランティアを動員。現地のミーティング風景。

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道端の草で巧みに笛を吹く広瀬さん。「子どもは古今東西変わりません。彼らと仲よくなるにはこれが一番なんですよ」
 
 現在、日本中に3700もの自然学校がある。広瀬さんらが手探りで編み出した運営手法やプログラムの多くが、その手本となった。ホールアース自然学校では、子どもに集団行動を求めない。班分けもしない。
「活動中は、まず大人のスタッフが複数の活動を提案します。動物の世話をしたり、焚火をしたり、探検や川遊びに出かけたり。子どもたちはどれに参加しても構わない。いっしょに好きなことをやろう、と僕らは呼びかけるだけなんです」
 自分で考えて、判断して、動けるようになってほしい。だから大人はいっさい指図しないのだという。
「僕自身、小さい頃から指図されるのが何より嫌いでした。でも最近は、むしろ大人の指図を待っている子が多いでしょう。そんな子どもたちも自然に還ると、ちゃんと自分の頭で考えるし、それぞれ役割を自覚して行動するようになるんですよ」
 先述のRQも、誰かの指図で動く組織ではない。自然学校のスタッフだけでなく、一般のボランティアも広瀬さんの信念に共感し、それぞれが自主的に考え、動く活動を展開しているのだ。広瀬さんにはそれが頼もしい。
「30年前から撒いてきた種が着実に育っています。でも、育てたのは僕じゃない。自然が先生なんです」
CONTENTS
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コンテンツ
・移住者の視点で森の町の課題に挑む 麻生 翼さん NPO法人 森の生活 代表理事
・生ごみの堆肥化で循環社会を創る たいら由以子さん NPO法人 循環生活研究所 理事長
・「地球の消費者」から「地球の生産者」へ 加藤大吾さん NPO法人 都留環境フォーラム 代表理事
・干潟に子供たちの歓声を取り戻す 足利由紀子さん NPO法人 水辺に遊ぶ会 理事長
・日本型の環境教育を求めて 新田章伸さん NPO法人 里山倶楽部 副代表理事
・カメラに託した「水」への熱き思い 豊田直之さん 写真家
・「月に一度は山仕事!」のすすめ 山本 博さん NPO法人 日本森林ボランティア協会 事務局長
・奥能登の昔ながらの暮らしを“再発見” 萩野由紀さん まるやま組主宰
・北海道から広げる自然教育ネットワーク 燒リ晴光さん NPO法人 ねおす 理事長
・「森のようちえん」は毎日が冒険 原淳一さん NPO法人 アキハロハスアクション 理事長
・東北に国産材のサイクルを築く 大場隆博さん NPO法人 日本の森バイオマスネットワーク 副理事長
・魚食復活をめざし、本日も全力疾走 上田勝彦さん 魚食復興集団 Re-Fish 代表
・「竹害」との戦いにかけた第二の人生 松原幸孝さん NPO法人 かいろう基山 事務局
・ニッポンバラタナゴの楽園を守る 加納義彦さん NPO法人 ニッポンバラタナゴ高安研究会 代表理事
・雁の里から発信「ふゆみずたんぼ」 岩渕成紀さん NPO法人 田んぼ 理事長
・「夢」は最高のエネルギー 杉浦嘉雄さん 日本文理大学 教授
・宮沢賢治に導かれて山村へ 吉成信夫さん NPO法人 岩手子ども環境研究所 理事長
・「海のゆりかご」再生にかける 工藤孝浩さん 神奈川県水産技術センター 主任研究員
・お金に換えられない価値を知る 澁澤寿一さん NPO法人「樹木・環境ネットワーク協会」理事長
・自然界に学ぶ最先端の技術 仲津英治さん 「地球に謙虚に運動」代表
・豊かな森を人づくりに活かす 萩原喜之さん NPO法人「地域の未来・支援センター」理事長
・自然が先生──生きる力を育てる 広瀬敏通さん NPO法人「日本エコツーリズムセンター」代表理事
・ホタルに託した鎮魂の思い 冨工妙子さん ながさきホタルの会・伊良林小学校ホタルの会 会長
・人とトキのかけはしになる 高野毅さん 生椿(はえつばき)の自然を守る会 会長
・民間の力で都立公園の緑を守る 佐藤留美さん NPO法人 NPO birth 事務局長
・花の湿原を守る肝っ玉かあさん 三膳時子さん 認定NPO法人 霧多布湿原トラスト 理事長
・干潟を拠点に人と自然をつなぐ 立山芳輝さん NPO法人 くすの木自然館 理事長
・子どもたちの冒険に寄り添う 佐々木豊志さん NPO法人 くりこま高原・地球の暮らしと自然教育研究所 理事長
・北海道にシマフクロウを呼び戻す 菅野正巳さん NPO法人 シマフクロウ・エイド
・ふるさと新城をもう一度桜の名所に 松井章泰さん 「100万本の桜」プロジェクト発起人
・1960年代の武蔵野の自然を取り戻す 佐藤方博さん NPO法人 生態工房
・緑ふたたび──三宅島に苗木と元気を! 宗村秀夫さん NPO法人 「園芸アグリセンター」 理事長
・冬の山中湖を彩るキャンドル 渡辺長敬さん NPO法人 富士山自然学校 代表
・年に10万匹のホタルを育てる 坂井弘司さん 旭川市西神楽ホタルの会 事務局長
・築230年の古民家に生きる 時松和宏さん 大分県九重町 農家民宿「おわて」 主人

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