セブン-イレブン みどりの基金 一般財団法人セブン-イレブン記念財団

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環境ボランティアリーダー海外研修

2005年(平成17年)第8回環境ボランティアリーダー海外研修レポート

海外研修レポート 感想 特定非営利活動法人 わかやま環境ネットワーク
重栖 隆 さん

秋分を過ぎてのサマータイムとあって、朝6時のドイツはまだ深い夜の底で眠りに沈んでいるように思える。ふと目にする木々が日を重ねるごとに秋の色に染まりゆく頃、研修もいよいよ最後の日を迎えた。
学んだことは、私の貧困な記憶容量を溢れるほどに多く、まだ咀嚼しきれないところ、整理しきれない部分も多いが、印象が鮮明なうちに全体を振り返り書き留めておくのは、それなりに意義あることだと思う。
そこで、時間の制約からやや走り書きになる点はご容喙いただくとして、以下、今回の研修の印象をまとめた。

[1] 訪問団体の活動もしくはマネジメントなど、どの部分を日本のボランティアリーダーとして生かせるか。
今回の訪問で学んだ内容は、大きく分けて、環境保護運動の思想面、組織面、運動面にわたっており、そのすべてでリーダーとして生かせるものが多くあった。
まず、ドイツの環境保護運動(もちろんこういう場合、それは今回の研修についていえばドイツ環境保護連盟=BUNDを指しているのだが)は、明確に社会の変革という政治目標を掲げており、これに適切な組織形態として、連邦、州、地方(市町村と呼ぶべきかどうかは現時点、ドイツの社会制度についての知識が不足しているのでよくわからない)の三層構造を備えている。つまり、社会の枠組み、少なくともその方向について、それぞれのレベルにおける決定権を有する議会と行政府に対し、市民が影響力を行使すること、つまり政治的アクションを起こすことをを組織の根本的な思想、いわばレゾンデートルとしている。
これに対し、個々のビオトープの保護、環境教育、グリーンコンシューマーなど、課題別に特化し、あたかも専門店が分散配置しているような日本の環境運動の現状は、もちろんそれぞれの活動の意義はおおいに評価するとしても、持続可能な社会の建設といった巨視的なペースベクティブを持った運動の展開に不向きであることは明らかだ。これでは、地球温暖化など、克服するに政治変革が不可欠な今日の環境問題に立ち向かうことはできない。そういった意味で、地域の環境問題にトータルに責任を負う、いわば百貨店的というか総合スーパー的というか、そうした地域主義的な環境団体と、これらを統合し国レベルでロビー活動を行う環境団体の出現が待ち望まれているのである。こうした、私が元々抱いていた問題意識は、今回の訪問でさらに具体的な映像を伴って確信となった。
さて、BUNDは先に述べたように、こうした思想を具現するためにふさわしい組織形態として各レベルの政治に働きかける三層構造をとっているほか、青年を育成する組織として青年部(ユーゲント)を持ち、また特定のビオトープの保護に携わるグループや、「緑の学級」など環境教育の実践に携わるグループなどを、組織内に包含している。つまり、活動を政治的アピールに特化した感のあるグリーンピースとは異なり、BUNDは同様に政治的組織ではあっても、多様で地道な環境保護運動のプログラムを同時に展開する組織形態を維持しており、これが活力の源泉ととなっているようにみえるのである。
日本の環境団体の中では、一般に政治や政党との関係についてのアレルギーが強く、それが個々の専門店的環境団体をさらに蛸壺的閉鎖性に追い込む原因となっているケースも少なくないだけに、あまりに過激な政治的主張をナマの形で持ち込むのは、組織や運動の広がりにとり得策とは言えないだろう。そうした点で、こうした環境団体の活動を正当に評価したうえで政治変革の力にしてゆく巧みな組織方針が求められるわけだが、BUNDの組織運営は、これに対し、大きなヒントを与えるものであった。
具体的な運動の面についても、今後の活動に生かせるテーマを多く発見できたと考えている。初日の「緑の学級」、4日目のライン川を見下ろすハイキングのエクスカーションを通じてレクチャーがあった環境体験型イベント、それから最終日の「森の幼稚園」など、ビオトープを子どもたちの環境体験に活かす活動、特に公教育と協働してこれを行うプロジェクトは、私が現在携わっている団体の活動状況、組織状況から見て、近い将来に十分、実現可能なモデルであった。また、3日目の研修でセミナーハウス「ヨナタン」を訪れた際は、和歌山県内の過疎山村美里町に開かれているセミナーハウス「未来塾」をすぐさま思い出した。この閑古鳥が鳴く施設を、公設民営の形でヨナタンのような環境とセラピーをメインテーマとしたプログラムを実施する舞台として活用できればすばらしい。指導スタッフの確保など、課題は多いが、帰国したらぜひ取り組んでみようと考えている。
さらに6日目にレクチャーを受けたファンドレージングは、自分としては、ほとんど何もしていなかった分野の課題であり、運動とそれを支える物理的保障の確保を同時に相乗効果を持って追求するという点で、まったく新しい視野を開かれた思いがした。もともとこの研修に参加する動機として、ドイツの強力な環境保護団体がどのような形でこの活動を支える資金を確保しているかを知り、それを日本に持ち帰って実現する思いがあったのだが、その前提となる調査が決定的に不足している現況では、直輸入など出来たものではないということが分かった。と同時に、自分が携わる団体の個性に合致する資金調達の方法を開拓するという、楽しみの多い活動分野も生まれたのであり、ただちにその取り組みを開始したいと思った。
このほか、ヘッセン州BUND青年部が作った「環境びっくり箱」(表現のしようがないので筆者が命名)、BUNDマインツビンゲン支部がフィールド調査で使用する「環境調査ツールボックス」など、小道具類ですぐにでも活用できそうなものも結構あった。今回の研修で得た多彩な成果を、有効に活かしたいものである。

[2] 訪問先団体と自らの団体が、パートナーシップを君で事業を行う可能性があれば、どの部分に共感し、どのように展開するか。
訪問先団体、…といえば今回想定しうるパートナーはBUNDになるであろうが、率直に言って、私が携わるような地方の環境団体の活動の現段階においては、国際的なパートナーシップ活動は、あまり手近なテーマとは言えないのが実情であるし、こちらから積極的にパートナーを捜さねばならない切実さもあまり感じてはいない。
ただ、私が活動する団体は、特定の地域的環境保全課題に特化して取り組むのではなく、和歌山県という行政区において生起する環境問題関連の課題にトータルに取り組み、地域の経済社会の構造転換を綱領的任務としていることから、BUNDの州レベル組織とは、地域社会に変革を働きかけるといった政治意識や取り組み手法といった点で、共通する話題があるように思える。
具体的に共通する課題をあげるとすれば、環境問題に主体的に取り組む活動家層と、一般の庶民との間にかなり大きな落差があることは日独共通であり、これを埋めるために試行錯誤を続けている点に両国変わりはなく、彼我の環境団体がこの克服のために日夜、悪戦していること、それゆえ、少しでも多くの先進経験に接し、可能なものはどん欲に吸収し移植したいと考えていることがある。
今回の研修において、訪問したBUNDの州組織や地方組織(=支部?)が、この困難を突破することも念頭に実施している「持続可能な開発のための教育」プロジェクトや「緑の学級」プロジェクト、さらに組織の個性に見合ったファンドレージング確立への取り組みは、まだ成功と評することこそ出来ないものの、日本の環境運動の進展を願う人々にとり、少なからずインパクトを与える素材であることは間違いない。逆に日本独特の環境市民運動の活動、例えば家電製品省エネラベルや環境家計簿などの取り組み、地球温暖化防止活動推進員、省エネ普及指導員などの存在や育成方法などは、ドイツの環境団体に影響を与える可能性を秘めている。
どれほどの成果が上がるかは実施してみなければ分からないが、少なくとも、共通の悩みを持ちつつ活動している仲間が地球の裏側にもいるのだと、生身の人間を見、肉声を訊くことでしっかり確認できることだけでも、十分、双方の活動意欲の増進やパワーアップには繋がるのではないかと思える。これは、今回の研修を受けて、最も強く私が心に抱いた実感だ。
そうした意味で、まずは、双方の活動家層の相互訪問を実現し、互いの活動の実情をつぶさに学んだりディスカッションしたりする機会を設け、激励し合うところから始めれば効果は少なからずあろうと思う。

[3] リーダーを支援するために、どのような仕組みが考えられるか。
日本の環境運動においては、地球温暖化防止活動推進員や省エネ普及指導員など、ある分野について一定の専門知識を有する啓発担当者の育成制度、環境カウンセラーや環境ボランティアなど、環境をめぐる多くのテーマについての学習を支援できる専門家を登録する制度ほか、環境活動家を育成活用するプログラムが用意されている。
しかし、こうした運動におけるリーダーには常に啓発者(スピーカー、かつては「扇動家」と表現した)と組織者(オルガナイザー)の両者が必要なのであり、啓発者だけいくら育成登録しても、彼らが活躍できる場を組織できるリーダーがいなければ、宝の持ち腐れになってしまう。あくまで私的な見聞の範囲だが、せっかく相当程度の資金と時間を投入して養成、登録した多数の啓発活動家も、その圧倒的多数は開店休業状態でまったく活用されていないのが実情ではないだろうか。つまり、組織者の役割を果たすリーダーが決定的に不足しているのである。 
これまで、こうした組織者リーダーの確保は、運動の発展段階に応じて自然発生的に生まれてくるに委ねられていた。これには、啓発者リーダーの育成が、専門知識の伝達プログラムを実施することで相当程度達成されるのに比べ、組織者リーダーの育成についてはこれまで、どのような知的伝達のカリキュラムが有効かが明らかでなく、またそうした知的カリキュラムもさりながら、組織者リーダーの能力獲得には実際の組織における実践トレーニングがより重要であり、これを育成プログラムの中に組み込むことが困難であるといった事情があるためか、まともに取り組んでこられた形跡がない。(もっとも、啓発リーダーの育成であっても本来、知識の伝達だけでは不十分で、啓発対象を組織する一定のスキルも必要とされると思うが、現状はそうなっていない。) 日本の環境保護運動におけるリーダー層の構造は、学者ばかり多くて彼らを活かす政治家が決定的に不足している点で、大きな弱点を抱えているのであり、こうした弱点を克服すること、つまりは、組織者リーダーの育成プログラムを確立することが、いま、緊急に求められている。
今回の研修において私は、この組織者リーダー育成の際に必要とされる知的スキルアップのためのカリキュラムが、相当程度整理して提起しうることを知った。今回の研修内容をベースに、日本における環境保全活動のオルガナイズに必要な科目をリストアップして整理し、一連のカリキュラムを備えた育成プログラムに仕上げることも十分可能だろう。さらにこうした育成プログラムの経験を一定程度蓄積し、発展させれば、標準テキストの作成も可能になるかもしれない。
さらに、組織者リーダーの育成に不可欠の組織実践面でのトレーニングという点では、先の育成プログラムの中に実践的ワークショップをもうけることは当然の前提として、次の二つのプログラムが追加して提供されねばならないだろう。ひとつは、育成プログラム実施中に組織者としての豊かな経験を持つ講師層とプログラム対象者の交流、またプログラム対象者同士の交流機会をふんだんに設けることで、知識レベルにとどまらない組織活動のイメージを豊かにふくらませること。二つ目には、育成プログラム終了後も、こうした人的ネットワークの維持とさらなる拡張を支援し、定期的な交流機会を設けるなど、現場での実践においてぶつかった具体的課題や、一定期間の実践を経て問題意識の質がさらに鋭さを増し、また発展した問題などについて、助言を受け、またディスカッションできるようにしてゆくことである。
「リーダーを支援する仕組み」という与えられたテーマを考えた場合、構想するのは以上のような組織者リーダー育成プログラムである。ここで自分がどんな役割を果たせるかは未知数だが、これまでの経験を生かせる場があれば、次世代のリーダーのために有効適切にそれを活かしたいと思う。なお、こうしたシステムについては、今回詳しい内容まで突っ込んで確認する余裕がなかったが、ドイツにおけるファンドレージングアカデミーのプログラムが、受講生のネットワーク形成によるフォローアップのシステムも含め、おおいに参考になるだろうと予感している。

[4] 全体を通しての感想
研修は非常に中身が濃く、長いようで短い一週間だった。知的、体力的に多少きつい面もないではなかったが、限られた時間で多くの内容を学びたいと思えば、この程度のきつさは当然だろう。いまは、和歌山の仲間たちに大きな負担をかけながら確保させてもらった貴重な時間で、自分にとり吸収可能なぎりぎり一杯まで知識を詰め込み、なんとか仲間たちとの約束を果たした達成感があり、自分なりによくやったと満足している。
もちろん、この程度の研修でドイツの環境運動を理解したなどというつもりはない。だが、その先進面も逢着している困難も、それなりに概要程度は理解はしたと思っている。
今回の研修で最も強く印象に残ったのは、ドイツの環境運動も、我々と同じ悩みを抱えているということだ。研修中、このことについては何度も発言し、また書きもしたが、ドイツにおいても日本においても、環境活動が直面する最大の課題は、大海のように広がる普通の国民の意識を環境保全の側にたぐり寄せることであり、そしてこれはいずれの国においても大変な難題であることが分かった。
日本を発つまで、環境先進国ドイツでは国民意識も日本とは相当違うのだろうと思っていたが、決してそんなことはなかった。ドイツは基本的にはやはり石油化学消費文明に基礎を置く先進工業国であって、日本と同様、自動車は歩行者を蹴散らす勢いで縦横無尽に走り回り、普通の人々は安売りスーパーで大量生産された消費物資を手に入れ、そのことに日常、たいした疑問も抱かずに暮らしている。ただ、環境問題を自覚した先進的なエリート層が作り出した社会システムと、これを作り上げる上で大きな役割を果たした環境市民運動の一貫した働きかけが、彼らの行動を日本よりは環境保全的な方向にリードしている点だけが違うのだった。
これも、何度も発言したことだが、自分は、今後20年程度のタイムスパンのうちに、人類が現在の消費文明から転換する方向に踏み出せなければ、もはや人類に22世紀はないかもしれないと考えている。つまり、このそう長くはない残された時間のうちに、圧倒的多数を占める普通の人々の意識を環境保全運動の側が獲得し、こうして結集された民主主義的パワーに立脚しながら、社会経済制度の根本的な変革を成し遂げなければならないのである。正当に評価して前途は非常に困難であると思う。だが、それだけにやり甲斐のある人類史的な大仕事でもあるだろう。
国民意識の程度がそう変わらないのであれば、ドイツの環境運動が、もう追いつけないほど日本の環境運動より進んでいられるわけでないのも道理ではある。そのことに少し落胆し、そしておおいに闘志がわいた。地球の裏側で同じ課題に悪戦苦闘する仲間がいることは心強い限りだ。彼らを好敵手として、彼らの経験から素直に学び、それを日本の運動に活かしながら、追い越す構えで倦まずたゆまず活動を続けてゆきたいと思う。


7時半、ようやく外も明るくなり、今朝の天気が小雨であることが分かる時間となった。街路樹のメイプルの葉が静かに揺れている。濡れたアスファルトの路面を走るタイヤのきしみが聞こえ、一群の生徒たちが横断歩道を早足でわたっている。いつもと変わらないマインツの朝だが、我々にはこれが最後だ。
この有意義な研修を準備してくださったセブンイレブンみどりの基金、この研修をリードしまた支えてくださったスタッフのみなさん、そして楽しい時間をたくさん作ってくれた5人の仲間たちに深く感謝し、日本に帰ってからの活動で恩返しをしてゆく決意を表明して、走り書きのまとめを終えたいと思う。ありがとうございました。



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