ほどサスティナブルで自然なエネルギーはない

これまで本間さんは約40の雪冷房施設を手がけてきた。写真上は初めて設計した「ガラスのピラミッド」。下はホワイトデータセンター。館内は広く設計され、雪冷房のため運営コストも低い

これまで本間さんは約40の雪冷房施設を手がけてきた。写真上は初めて設計した「ガラスのピラミッド」。下はホワイトデータセンター。館内は広く設計され、雪冷房のため運営コストも低い

日本の国土の約半分は、じつは年間積雪量が5mに達する豪雪地帯だ。
除雪と廃棄に手間のかかるこの厄介者を、
エネルギー源に活用しようと取り組んでいる技術者がいる。

本間 弘達さん
(工学博士、雪屋媚山商店代表取締役)

雪冷房との出会い遅かった

──世界有数の雪国である日本。北海道から東北、本州の日本海沿岸地域は、しばしば大雪によって交通網が麻痺(まひ)し、産業活動が停滞する。この迷惑千万な雪を、エネルギー源として利用する雪冷房の技術を開発したパイオニアがいた。室蘭工業大学の媚山(こびやま)政良先生(現・名誉教授)である。本間弘達(こうた)さんは、その門下生だ。

堆積した雪を断熱材で覆って作る雪山。雪は夏まで保存可能
堆積した雪を断熱材で覆って作る雪山。雪は夏まで保存可能

本間いま、私が活動拠点としている北海道・美唄(びばい)市は、毎年、背丈ほどの雪が積もるところです。市が1年間に除雪する雪は約8万トン。以前はこれをすべて廃棄していたのですが、媚山先生はこの雪を冷熱エネルギーとして利用する道を切り拓いたのです。

雪冷房は、冬に貯蔵した雪を夏まで保存しなければなりません。先生が考えた保存方法は2つ。外に多量の雪を積み、チップ材などで被覆する雪山方式。もう1つは、断熱した蔵内に雪を搬入して保存する貯雪庫方式です。私は同じ大学で建築を学んでいましたが、在学中、わが国にこんな技術のあることはまったく知りませんでした。

学生時代は建築デザイナーを夢見ていて、大学院を修了後すぐ札幌の建築会社に設計者として入社しました。そして入社7年目、会社が公共工事の雪冷房物件を落札したのです。ところが雪冷房に詳しい人が社内に誰もおらず、私が設計を担当する羽目におちいったのです。しかし雪冷房の知識はゼロ。当時、北海道で雪冷房がいちばん普及していた美唄市と沼田町(雨竜郡)を訪ねて、初歩から教えていただきました。媚山先生にお会いしたのはこのときです。

雪冷房物件は、3年後に何とか納入できました。通称「ガラスのピラミッド」と呼ばれるギャラリー施設で、いまも札幌モエレ沼公園で見ることができます。以来、私は雪冷房の魅力に取り憑かれてしまいまして。

酒席でも公言したら実行するのがルール

──雪冷房の虜になった本間さんは2004年、母校の大学院に再入学、媚山教授の下で雪の利用技術の研究に没頭した。そのかたわら美唄市の自然エネルギー研究会に参加した。各界から集まった有志による研究会である。本間さんはいま、26年続くこの研究会の3代目会長だ。

本間どちらかというと、雪好きが語り合う同好会という雰囲気です。研究会が終わると席を移して、美唄名物の焼き鳥を食べながら話に興じるのですが、酔いも手伝って、つい夢のようなことまで口走ってしまう。じつは研究会には、たとえオフタイム発言であっても①口に出したことは必ず実行する、②失敗しても責めない、③言った人にはみんなで協力する、というルールがあるのです。

13年前、私はその席で「美唄にデータセンターを誘致し雪で冷やそう。排熱でハウス栽培や魚の養殖もやってみよう」と、先走った話をしてしまって。でも、その発想は、空知工業団地のホワイトデータセンター(WDC)設立に繋がりました。実現するまでに10年かかりましたけど。

全館雪冷房の新千歳空港。本間さん設計で最大規模
全館雪冷房の新千歳空港。本間さん設計で最大規模
東日本大震災新会社設立決意

──本間さんは、雪冷房の研究のために大学院に再入学するなど、学究肌の反面、現場を見ないと気がすまない性格(たち)でもある。あの忌まわしい東日本大震災のときだった。

本間あの日、会社で被災地の様子を映し出すテレビを見ているうち、なぜ災害に耐えられるインフラが作れなかったのか、建築設計者として居ても立ってもいられなくなって。帰宅してすぐ自分の車に水と食料を積み込み、美唄から1週間かけて福島まで行ったのです。途中、石巻で多くのご遺体を目の当たりにし、南三陸町では、津波で崩壊した町庁舎の無残な姿も目にしました。このとき実感したのは、「人はいつ死ぬか分からない。それなら、人の役に立つやりがいのある仕事に、いまを全力投入してみよう」ということでした。

「雪育ち」ブランド食品は貯雪庫で貯蔵した地域の農産物を原料として作る

「雪育ち」ブランド食品は貯雪庫で貯蔵した
地域の農産物を原料として作る

「雪育ち」ブランド食品は貯雪庫で貯蔵した地域の農産物を原料として作る

──会社を興そうかどうか悩んでいたとき、テレビから流れてきた公共CMが本間さんの心に響いた。「降り積もる雪が冷房のエネルギーになる。見方を変えれば味方になる」

本間そんなとき、札幌近郊で20年会社勤めをしてきた妻が「あなた一人くらい私が食べさせますから、好きなことをしてください」と、ひと言。それで踏ん切りがつきました。設立した会社の社名は、株式会社「雪屋媚山商店」。恩師への感謝の気持ちから、お名前を入れさせてもらいました。会社設立日も東日本大震災を忘れないよう、3月11日に。

WDC“スノー・フード”

──設立から10年、雪屋媚山商店は着々と業績を伸ばしてきた。本間さんが提唱したWDCの誘致は、共同通信デジタルが出資を引き受け、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)による実証実験事業を経て、2020年に事業化を開始した。その翌年には共同通信デジタルほか5社が出資する新しい運営会社・ホワイトデータセンター(WDC)が発足。WDCはラック(格納庫)に顧客からサーバーを預かるハウジング事業である。現在のラックのキャパは20個だが、2024年にはその10倍の規模になる予定だ。

本間この仕事を志したのは、率直にいえば、豪雪地帯の人びとの役に立ちたいと思ったからで、その具体化が、WDCを核にした産業構想です。豪雪地帯にあり余る雪でデータセンターを冷却し、サーバーから排出される余熱をハウスに送って野菜の栽培や水産物の養殖を手がける。いわば循環型の仕組みです。養殖は、すでにウナギやアワビなど付加価値の高い魚介で実験中です。野菜の栽培も、WDCの増設に併せて進める予定です。

──雪屋媚山商店の本店は、空知工業団地の一角にある利雪食品加工研究施設「ホワイト・ラボ」のなかにある。本間さんが事務局長を務める「北海道スノーフード研究会」も、このラボに事務局がある。ラボには70トンの雪を貯蔵できる大きな冷蔵室があり、大豆や芋、ニンニク、米などのほか、有名ブランドの洋酒やワインもある。別室では、雪屋媚山商店の「雪育ち」ブランド「干し芋」などのパック詰め作業がおこなわれている。WDCは無人化運営が理想だが、その一方、ラボで地域の雇用も生み出している。

本間ドライフードを中心とした食品販売事業は、始めてまだ6年目ですが、雪貯蔵の利点を生かしたユニークさで認知度が上がってきています。昨年から雪貯蔵大豆を使った「代替チーズ加工品」の販売も始めましたが、乳製品アレルギーの方々や健康志向の人たちの間で、人気商品になりました。雪貯蔵で生まれた低温乾燥空気で農産物を乾燥させるやり方は、昔からある寒干しと同じ効果があります。地域の特性を活かした商品の開発――それが私たちの生き残りの道だと思っています。

貯雪庫は食品の鮮度保持能力が高い。1年間雪貯蔵した米も新米と遜色のない品質だという。本間さんは、雪の力を最大限に活用した食品開発をめざしている

貯雪庫は食品の鮮度保持能力が高い。1年間雪貯蔵した米も新米と遜色のない品質だという。本間さんは、雪の力を最大限に活用した食品開発をめざしている
貯雪庫は食品の鮮度保持能力が高い。1年間雪貯蔵した米も新米と遜色のない品質だという。本間さんは、雪の力を最大限に活用した食品開発をめざしている
Profileほんま・こうた 1968年北海道生まれ。室蘭工業大学大学院で建築を学んだ後、札幌市の総合建設会社に入社。雪冷房の設計を手掛けたのを機に母校の大学院に再入学し、雪氷熱研究の第一人者・媚山政良教授に師事。2012年、(株)雪屋媚山商店を設立。日本唯一の民間雪冷房専門設計会社として多くの雪冷房施設を手がける。

「『自然』に魅せられて」バックナンバー

こちらよりバックナンバーの一部をご確認いただけます。(2022年冬号までを掲載しています。)

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