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「自然」に魅せられて ムツカケ名人に学ぶ──
有明海には、他では見られない珍しい生物が30種類以上も
生息している。その代表格ムツゴロウを、熟練の技で巧みに
釣り上げる岡本さん。地元でも数少ないムツカケ漁の名人だ。
豊穣の海に伝わる神業漁法

岡本忠好

【photo】2匹のムツゴロウ
ハゼ科の魚ムツゴロウは、日本では有明海と八代海だけに生息する。初夏の産卵期にはオスはメスに求愛するためにジャンプを繰り返し、"恋敵"が近づくと口をあけて威嚇する(写真:北島正行)

── 
投げた針が戻ってきたと思ったら、次の瞬間、獲物はもう名人の手の中に。実際に拝見して、ムツカケが“神業”とまでいわれる理由がわかりました。

岡本 
獲られたムツゴロウさんも、何が起こったのかわからんでしょう。2匹で遊んでいるところを片方だけひっかけると、残されたほうはきょとんとした顔をしますもんね。うまい人になると1回の漁で500匹も、700匹も獲ります。もっともそれぐらいは獲らんと、商売になりませんから。

【photo】子供たち
岡本さんが勤務する「道の駅・鹿島」は、泥の上で様々な競技に挑む干潟の祭典「ガタリンピック」の開催地としても有名だ(写真:七浦地区振興会)
── 
岡本さんも百発百中ですか。

岡本 
だいたいね。私のムツカケの腕前は、有明でも指折りの名人とうたわれた祖父さんの“隔世遺伝”(笑)。いまは漁師をやめて、干潟体験事業の仕事に専念していますが、そこでもムツカケの実演をやってますので、そう鈍っとらんと思いますよ。

【photo】潟スキーと竿
【photo】釣り針釣り方も独特なら、漁具も独特。竿の長さは5m近くあり、糸の先には6本カギの針(左)が。泥の上を移動するための潟スキーは杉の一枚板だ
── 
かなりの熟練を要するのでは。

岡本 
私ら「潟っ子」は、小さい頃から遊びの延長として、ムツカケに親しんでいました。それでもまあ、基本を覚えるまでに最低で3年。漁師として一人前になるには10年はかかるでしょう。もちろん人から、手取り足取り仕込まれるものではありません。私にも祖父といういい師匠がいましたが、教えてもらえるのはほんの基本だけ。みんな先輩の技や仕掛けを目で盗み、自分でも試行錯誤を重ねながら腕を磨いたもんです。天候や風向き、時間帯によっても獲れる場所が違うので、そういう意味でも経験がものをいうのは確かですね。

【photo】名人の後ろ姿
意外なほどの早さと軽やかさで、潟スキーは干潟の上を滑る。板に片ひざを乗せて体重を支え、残る足で泥を蹴って進むのだ
【photo】昔のモノクロ写真
ムツゴロウの巣穴に竹筒の罠をしかける「タカッポ」も伝統的な漁法のひとつ。ムツカケに比べて魚が傷つかないので、高く売れるという(写真:鹿島市立浜公民館)
── 
ムツカケで一番大事なのはどういう点ですか。あのすばしっこいムツゴロウを、竿と糸と針だけでひっかける秘訣を教えてください。

岡本 
ひっかけるのは二の次。まずは潟スキーに乗れんと、話にならんもんね。というのも、ムツカケで一番大事なのは獲物との距離感、自分の間合いまで首尾よく近づけるかが勝負なんです。上半身が少し揺れただけで、ムツゴロウさんに気づかれてしまうので、慎重にスキーを漕がんといけません。うまく近づけたら針を放り投げて、獲物の20?ほど先に落とし、一気にひっかけます。そして獲物ごと針を自分の周りで一回転させながら、手元へ引き戻してキャッチ。こうした一連の動作にはコツがあるのですが、それを身につけるには、何度も練習して自分でつかむしかありません。


不思議の海・有明海
潮の満ち干が日本一大きいといわれる有明海。その差は最大6mに達し、干潮時に出現する約8600haの干潟は日本の干潟の4割を占める。岡本さんが「粒子が細かくて気持ちいい」という干潟の泥は、約8万年前の阿蘇山の大噴火で九州全土に降った土砂が風化し、河川によって有明海に運ばれたものだ。
【photo】海上の小屋
鹿島市七浦海岸に伝わる「タナジブ」漁の仕掛け。海中に突き出たやぐらに網を取りつけ、滑車で上げ下げして魚を獲る

【photo】ワラスボ ムツゴロウと並ぶ有明の珍魚「ワラスボ」。姿形や歯をむきだしにした顔つきはグロテスクだが、干物は酒の肴に最高(写真:七浦地区振興会)
── 
ムツカケは、有明でしか見られない伝統漁法。歴史も古いそうですね。

岡本 
江戸時代にはすでに行われていたようですが、最盛期を迎えたのは昭和40年頃でしょう。私も覚えています。当時は、50〜60人の漁師がムツカケを生業とし、技を競っていました。それが昭和の終わり頃にバタバタと減り、いまは鹿島市内に7、8人が残るだけ。60歳代、70歳代ばかりで後継者のあてもない。技の担い手としては、私が一番の若手という有り様です。

── 
このままでは近い将来、ムツカケが消えてしまうかもしれません。

岡本 
海が汚れて、魚がとれなくなったこともありますが、ムツカケが衰退した直接の原因は食生活の変化なんです。最近は地元でもめっきりムツゴロウを食べなくなりました。蒲焼やら甘露煮やら、いろんな郷土料理があるのにねぇ。需要がないから、漁師もムツゴロウだけでは生計が立てられんのです。それでもいま干潟には、自然保護という方向から追い風が吹き始めています。ガタリンピックや干潟体験に参加する人々の笑顔を見るたびに、その思いを強くします。だから、商売としては厳しいムツカケも、干潟という自然をとりまく文化として何とか後世に残したい。それが、干潟に育てられた「潟っ子」の使命だと思うのです。


名人の正面
「昔は干潟じゅうにムツゴロウさんがすき間なくおりました」??親しみと感謝をこめて、名人は獲物を「さん」づけで呼ぶ


Profile

おかもと・ただよし 1949年、佐賀県鹿島市生まれ。同市七浦地区の「道の駅・鹿島」で、95年から干潟体験事業の運営を手がける。元漁師の経験を生かした解説と実演は利用客に大好評。


CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

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