bar
文字サイズ
「自然」に魅せられて
一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
何世代にもわたり、その土地の環境に合うように改良されていった、「固定種」と呼ばれる野菜のタネ。日本で唯一の固定種専門種苗店「野口種苗研究所」の三代目、野口勲さんが語る美味しい野菜の秘密。
[photo]
店頭の火の鳥と鉄腕アトムは、故・手塚治虫氏の許諾を得て掲げたもの。「この看板に恥じないタネ屋でありたい」と野口さんは願っている

固定種の衰退、F1種の台頭
── 
野口種苗研究所があるのは埼玉県飯能市の郊外、秩父山地東麓に位置する、四方をスギやヒノキの森に囲まれた、のどかな中山間地である。かつては、この周辺の集落にも“タネ採り農家”が数多くあったという。

野口
このあたりは、江戸時代から続く林業地帯で、平地が少なく、米作りもほとんどできないので、農業経営は成り立ちません。木材はお金になるまで育つのには年月がかかります。そこで、山里の人々の貴重な現金収入源となったのが、自給用の畑を使った野菜のタネ採りでした。交雑を避けるため、集落ごとに作物を決めて栽培・採種したものを、“タネ屋”が村々を回って買い取っていったんです。どの畑も山あいに隔離されているから、交雑の心配がないし、タネは作物と違ってかさばらないので、運搬が楽。飯能一帯では1960年代の半ばぐらいまで、さかんにおこなわれていました。

── 
採種されていたタネは、どれも「固定種」だった。大昔から作られ、土地の気候風土に合うよう選抜淘汰を繰り返してきた、在来種の野菜のタネである。

野口 
「それって、いつも食べている野菜のタネのことでしょ?」という人がほとんどかもしれませんね。ところが、そうじゃない。いま世の中に出回っている野菜のタネは、じつは大半が「F1」と呼ばれる一代限りの雑種のタネなんです。野菜は、異なる系統のものをかけあわせると、メンデルの法則通り、一代目には両親の優性形質のみが現れる。同時に、収穫量や生育速度が両親よりも優れる「雑種強勢」という力が働く。それを利用して交配したのがF1種です。形や大きさ、収穫時期が揃っていて、特定の病気への抵抗力もつけられるので、生産者にとって便利なタネなんです。でも、それは一代限り。このF1からタネを採っても、二代目以降は姿かたちがバラバラになってしまう。農家が種苗会社から毎年、高価なF1のタネを買わざるを得ないのはこのためなんです。
[photo]
店から車で約1時間の山奥にある野口種苗の採種圃場。育てたカブを抜き、出来のいいものを選んでタネ採り用に植え直す
── 
野菜が大量に生産され、大量に消費されるようになった東京オリンピックの頃から、日本中の野菜のタネが、固定種からF1種に変わっていった。同じ時期、それまで普通におこなわれていた、野菜からタネを採ってそれを栽培するという文化も、すたれてしまった。

野口 
形も大きさも規格通りに揃ったF1なら、ある程度決まった値段で売りさばける。一方の固定種は、言うなれば自然児の野菜。形も違えば大きさも不揃い。だから出荷には向きません。しかし、風味の豊かさや栄養価では、F1種はこの足元にもおよびません。年配の方が、「昔の野菜はもっと味が濃かった」と懐かしむのは、そういう理由があるんです。F1は生育が早い分、実の詰まりも養分も乏しい。だから最近の大根なんて、きめが粗いし、水っぽいでしょう。もっとも、女房に言わせると、「すぐ煮えるから、F1大根のほうが扱いやすくていい」のだそうですけど(笑)。

子孫を残せない野菜
── 
野口さんはけっしてF1種を否定しているわけではない。食料の安定供給や産地経営に力点を置けば、生産性に優れたF1は必要だと考えている。

野口 
私が危惧するのは、F1種のタネを効率よく大量生産するために、「雄性不稔(ふねん)」の株を利用する技術が、あらゆる野菜に広がり始めている点です。雄性不稔とは、植物の葯(やく)やおしべが退化し、花粉が機能しなくなる突然変異のことで、人間で言えば無精子症にあたります。この場合だと、夫婦の夫のほうを無精子症にしておいて、よそから別の男性の精子をもってきて受精させ、期待通りの子をつくる、というようなことを人為的におこなうのが雄性不稔を利用したタネ作りなのです。
── 
雄性不稔の原因は、ミトコンドリア遺伝子の異常で、母親株からすべての子に受け継がれるが、本来ならこうした変異株は子孫を残せず、自然淘汰される。

野口 
何千、何万株の中にたった一つだけ生まれた、突然変異の不健康な個体を、わざわざ何億、何兆にも増やして食料にしているのが現実です。近年、不妊症や無精子症が増えていますが、男性機能をなくした野菜の蔓延とはたして関係がないと言い切れますかね。仮に何の影響もないと証明されても、私は固定種のタネを売り続けていくつもりです。工業製品化されたF1依存の農業がいつか隘路に陥ったとき、この固定種のタネが、新しい道を切り開くかもしれないですからね。
[photo]
左=タネの袋詰めはすべて手作業。計量スプーンやカップは、タネの大きさによって使い分ける。右=オリジナルのタネ袋。採種法やレシピまで懇切丁寧な解説付きだ

手塚漫画にいのちを学ぶ
── 
野口さんが固定種にこだわるようになったのは、30歳で家業を継ぎ、タネの世界の危うさを知ってからだが、動機はそれだけではない。幼い頃から熱烈なファンだった手塚治虫の漫画の影響が大きかった。

野口 
私は手塚漫画で育ったんです。学校で教わったことより、手塚作品から得たことのほうがはるかに多かった。それはいまも、自分の思考回路の根幹にあると思っています。熱烈な手塚ファンが高じて大学を中退し、虫プロダクションに入社したんです。出版部に配属され、手塚先生の担当にもなりました。ところが、やがて虫プロが倒産。しばらくしてから家業を継ぐことになったのですが、継いでみて改めて、自分はこんなにも深く、手塚作品とつながっているんだと気づかされたんです。手塚先生が一生をかけて追い求めたテーマは、『火の鳥』に象徴される「生命の尊厳」です。だったら、F1という一代限りの野菜のタネで生計を立てるよりも、タネを採り続けることで生命の環がつながる=固定種の復活と普及に挑戦する道を選ぼうと思ったのです。
[photo]
店の別棟には貴重な手塚作品のコレクションがずらり。経営に窮したときに泣く泣く手放したお宝もあったという

自分で採れる固定種のタネ
── 
50歳を機に、固定種のネット通販一本で勝負することを決めた。タネは、各地にかろうじて残る採種農家や種苗業者から仕入れるほか、自身も父の代からの山の畑でタネ採りを続けている。
野口 
「全日本蔬菜(そさい)原種審査会」で農林大臣賞を連続受賞した「みやま小かぶ」をはじめ、地元野菜の「のらぼう菜」や地這胡瓜(じはいきゅうり)のタネなどは、いまでも自前で採っています。不揃いでも、味がいい固定種の野菜は、家庭菜園にはぴったりです。生育速度がまちまちなので、旬の味を長く楽しめるのも魅力ですね。うちで固定種のタネを買ったら、ぜひ自分でタネを採ってみてください。タネの袋に採種法も載せていますので。固定種の一番の長所は、その土地に適応した健康な野菜を作れることです。それは、タネのもつ生命力の発露にほかなりません。「一粒万倍」という言葉がありますが、健康なタネは一粒まくと1年で1万粒、2年で1億粒、3年で1兆粒に増えていくものなんです。タネの力って、すごいんですよ。
[photo]
野口種苗を中心に県内の種苗業者が三者共同で育種した「みやま小かぶ」のタネ。肉質が緻密で甘いのが特長
Profile

のぐち・いさお 1944年東京都生まれ。65年大学を中退し、虫プロダクション出版部に入社。手塚治虫の担当編集者などを経た後、30歳で祖父の代から続く家業の種苗店を継ぐ。現在は固定種のタネに特化し、年間400〜500種類をインターネット通販で販売する一方、各地の伝統野菜の復活・普及に力を注ぐ。著書に『タネが危ない』『いのちの種を未来に』など。
CONTENTS
------------------------------
コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

ご利用にあたってプライバシーポリシー
Copyright(C) 2000-2019 Seven-Eleven Foundation All Rights Reserved.