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「自然」に魅せられて
ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
週末の夜ともなると、高尾山山腹にあるお寺の境内では、あちこちで野生のムササビの観察会がおこなわれる。こうした観察会を最初に始めたのが、ムササビ研究の第一人者で、中高一貫校の生物部顧問を務める岡崎弘幸先生である。いまから40年前のことだ。
ムササビはげっ歯目リス科に属し、成獣はネコぐらいの大きさになる。正式名称はホオジロムササビ、日本の固有種である。「高尾山の個体は人に馴れていてあまり逃げません。かわいいですよ」と岡崎先生

日没30分後から活動開始
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秋の日は釣瓶落とし。夕暮れが境内の木々を染める頃、下山するハイカーとは反対に人波に逆らって、赤い電灯とトランシーバーを手に参道を急ぐ一団がある。引率する岡崎先生以外は、女子生徒を含む中高生たちだ。こんな時間からどこへ?
岡崎
ムササビはリスの仲間ですが、夜行性なので、飛膜を広げて木々の間を滑空する姿が観られるのは夜間しかありません。しかも、活発に動き回るのはひと晩に2〜3回だけ。夜ならいつでも会えるというわけではないんです。彼らが巣穴から出て採食などを始めるのは、1年を通じて日没の30分後と決まっています。このときが最初の活動のピークで、2回目は午前0時前後。3回目は巣に戻る明け方です。秋は日没が早いので、急がないと最初のピークの観察に間に合わないんです。学校が高尾山に近いとはいえ、だから生徒も私も放課後は大忙しですよ。
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東京に、野生のムササビがいると聞くと驚く人が少なくない。もともと里山の人家周辺にも棲んでいる身近な動物なのに、地元でもその存在を知らない人がいる。
岡崎
日中には姿を見ないので、なじみがないのでしょう。古い家の屋根裏や戸袋などにもよく棲みつきますが、住人は気づいていないということがときどきあります。天井裏で物音がしても、きっとネコか何かだろうと。まさかムササビとは思わない。昔は“座敷わらし”の足音だといわれていたくらいですから。実際、各地のムササビの呼び名には、「モマ」や「ムマ」など妖怪じみたものが多い。高尾山に伝わる民間伝承、天狗の正体はムササビだという説がありますしね。
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生物部の部員は中・高合わせて約40名。ムササビ以外の生物ももちろん扱う
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光と音に注意するのが観察会(左)の基本だと岡崎先生。赤いフィルムを張った電灯を持ち、トランシーバーでグループ同士連絡をとりながらムササビを探す(右)
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ムササビの生息場所は高尾山の全域におよぶ。野球場ほどの広さの薬王院境内だけでも約10匹。これほどの密度で生息するのは珍しいという。彼らはなぜ高尾の森を好むのだろうか。
岡崎 
最大の要因は山の植生です。ムササビは完全な樹上生活者なので、樹木──それも巣穴に使えるような樹洞のある大径木がないと生きることができません。太い木は背が高く、滑空に適しています。彼らが滑空する距離は、飛び出す木の高さの約3倍。高い木があればあるほど行動範囲が広がって有利なのです。高尾山は、古くから社寺林や御料林、国有林として守られてきたために、とりわけスギやヒノキの大径木が多い。スギやヒノキの葉や花、球果は、彼らの食料にもなるし、樹皮は巣材に使われます。他にもカシやカエデ、ツバキなど餌になる樹種が多く、1年を通じて採食には困ることがない。「家」「食事」「移動手段」と三拍子揃った高尾山は、ムササビにとって楽園といっていいかもしれません。
都会の夜景と“空飛ぶ座布団”
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40年前、岡崎先生がムササビと初めて出会ったのは高尾山だった。以来、観察と調査で高尾山を訪れた回数は900回を超える。
岡崎 
大学時代に、雑誌で高尾山のムササビに関する記事を読んだのがきっかけでした。東京・東久留米市の出身なので、高尾山にはしょっちゅうハイキングに行きましたが、あんな身近なところにムササビがいるなんて知らなかった。本当にいるのか、仲間と見に行ってみようということになったんです。地図を頼りに探し回ったんですが、全然見つからない。あきらめて帰ろうとした、まさにそのときでした。いたんですよ、3mほど先の木の枝に、野生のムササビが!
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滑空するときは、ふだん手首に沿って折り畳まれている軟骨を開いて飛膜面積を広げている。
── 
この出会いの感動が、ムササビ研究の道を開くことになった。まだ専門家が少なく、くわしい生態や分布がわかっていないことにも意欲が湧いた。フィールドを都内に絞り、手探りの調査が始まった。
岡崎 
実物を観察するだけでなく、食痕やフンを調べたり、地元で聞き込みをしたり、とにかく見たもの、聞いたままを手当たりしだいに記録していきました。そうやってデータを集めていくうちに、だんだんムササビの生息条件や活動のパターンが見えてきたんです。高尾山は東京にあるし、地理的にも実家に近い、だから調査は楽だ、と考えていたのが甘かった。高尾山は分け入ると大変険しい山で、神出鬼没のムササビを追って、夜の山中を移動するのは本当に大変です。テレビ番組の取材に協力したとき、撮影班が「このロケはジャングルやサバンナより厳しい」と嘆いていたほどです。
ムササビの親子。どうやって飛び方を教えるのかなど、子育てには未解明な部分が多い

── 
しかし「ムササビの生態にはそんな苦労を吹き飛ばす魅力がある」と、岡崎先生はいう。そのハイライトが、木から木へ、ときに100mを超す大滑空を見せる瞬間だ。
岡崎 
うちの学校の生物部の観察会でも、一般向けでも、大滑空を見るには忍耐が必要です。夏は暑さや虫と、冬は寒さと戦いながら、暗闇の中、静かに、じいっと樹の上を見上げていなければなりません。首の痛さに耐えかねて下を向いた一瞬にムササビが飛んでいってしまった……。辛抱して待っていたからこそ、滑空を見たときの感動が大きくなるんでしょうね。高尾山というロケーションも一役買っています。眼下の都会の夜景をバックに悠々と飛ぶ姿は“空飛ぶ座布団”。一度体験すると、自然の驚異に目を見張るはずです。
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ムササビが食べたカシの葉。葉を半分に折り、真ん中を食べると、こういう食痕が残る。葉が新しければ近くにムササビがいる証拠なので、夜の観察の前に探しておきたい
巣穴の直径は8cm前後。天敵のテンが登りにくい、高くて枝の少ない幹の穴を使うことが多い
世界の高尾山になったいま、ムササビは?
岡崎 
生物部の入部時には何をするにもたどたどしかった生徒たちは、ムササビの調査研究をするにしたがって、驚くほどの成長を見せます。夜、出歩いたこともなかった子が、山へ通ううちに見る見るたくましくなっていくんです。動物的な勘が目覚めるというか、目も耳も鼻も、敏感になるし、方向感覚も研ぎ澄まされて暗い森の中ですばやく動けるようになります。これまで勤めた、どの学校の生物部もそうでした。
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いまや世界でも名高い観光地になった高尾山だが、研究者として、また教育者としてかかわり続けてきたムササビ先生の目にはどう映っているのか。
岡崎 
大径木がかなり倒れたのと、入山者が急激に増えたことが影響してか、ムササビは減りましたね。集団で騒ぎながら夜の山に登るグループや、ムササビに強い光を当てる人もいて、ムササビも昔にくらべて住みにくくなったと思っているでしょう。ムササビにとって、高尾山でいま一番迷惑な動物は人間かもしれません。私たち生物部も十分怪しいですけど(笑)。これだけ人が増えて、夜も騒がしくなると、ムササビが嫌がって、山を離れる可能性がないともいえません。観察会が盛況なこと自体は素晴らしいことですが、くれぐれもお互いにマナーを守っていきたいと思います。高尾山が永遠にムササビの楽園であってほしいですからね。
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顕微鏡の収納箱を使って岡崎先生が自作したムササビ用の巣箱。樹洞だけでなく、人間が架けた巣箱もよく使う。暑いと、自分で入口をかじって広げることも
Profile

おかざき・ひろゆき 1958年東京都生まれ。筑波大学生物学類卒、東京学芸大学大学院教育研究科修了。都立高校勤務などを経て現職。大学時代に始めたムササビの研究を継続するかたわら、在籍した各校で生物部顧問を務め、生徒たちともムササビや野生動物の観察調査を行っている。著書に『ムササビに会いたい!』など。
CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

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