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都市の里山に宿る神々
ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
東京都心からわずか1時間。千葉県の北総台地に建つニュータウンの周囲には、自然と文化がみごとに調和した豊かな里山が広がっている。ナチュラリストとしてここで観察を続ける人類学者のケビン・ショートさんが、とっておきの場所に案内してくれた。
「この結縁寺の弁天池は僕のパワースポットです」──水辺を神聖視する文化はケビンさんのルーツであるアイルランドにもあるという

そうふけっぱらのキツネ
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高層ビルと住宅、そして巨大ショッピングモールが建ち並ぶ千葉ニュータウン。ナチュラリストのケビンさんがこの街に住み始めてから28年になる。
ケビン 
最初は家賃の安さに惹かれてね(笑)。でも、住み続けるうちに、もっとすごい魅力を知ってしまった。それが里山です。千葉ニュータウンのとなりには、都市近郊とは思えないほど豊かな田園風景が広がっていて、ちょっと足を伸ばすと、ほら、見てください! 別世界でしょう。この里山に魅せられて、ニュータウン周辺の自然についてフィールドワークを重ねているうちに、30年近く経ってしまったという感じです。
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地元のNPO法人ラーバン千葉ネットワーク主催の観察会で講師を務めるケビンさん(写真提供:NPO法人ラーバン千葉ネットワーク)
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ニュータウンの一角に、一帯の環境の豊かさを象徴する、「草深原(そうふけっぱら)」と呼ばれる草地がある。ここにはホンドギツネなど多くの希少生物が棲息していて、関東では“奇跡の原っぱ”と呼ばれる貴重な場所だ。このため現在は開発が中断されている。
ケビン 
いつも探しているのに、キツネはまだ死体すら見たことがありません。でも、調査のために設置された自動カメラには何度も姿が映っているので、いるのはまちがいない。このあたりには、いたずら好きのキツネが人をだます「そうふけっぱらのキツネ」という民話が伝わっています。このニュータウン周辺には、こうした民話や寓話が数多く伝わっていて、それがこの地方の豊かな文化を育んでいる。「ピーターラビット」は、イギリスの里山であるカントリーサイドの田園風景を舞台にしたウサギの童話ですけど、どこの国でも、文化の大もとはやはり里山の原風景なんだと思います。それが歴史を経て、文学や音楽などに紡がれていく。
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ニューヨーク出身のケビンさんが初めて日本を訪れたのは約40年前。神奈川県内の米陸軍基地に駐留する兵士としてだった。基地から近い丹沢や大山で山歩きの楽しみを覚え、それから日本各地の山に登るようになった。
ケビン 
その頃はどちらかというと、奥山の自然に関心が向かっていたんですね。多くのアメリカ人にとって、自然といえば、人が入ることのない原生自然、つまり“ウィルダネス”を指します。僕もそうだった。ところがここに住んでみると、人がたくさん住んでいるのに、自然も残っている。こういう場所があることを知って、里山という環境に興味が湧いたのです。もともと文化人類学が専門で、人の営みと自然の生態系との関係を研究していたことも動機の一つです。
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ケビンさん手描きのイラストカード。観察の成果はすべて記録する
暮らしを支えた水神信仰
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ニュータウン周辺で、ケビンさんの最も好きな散策エリアは、朝日新聞の「にほんの里100選」にも選ばれた「結縁寺(けちえんじ)」。観察会のガイドなどを務める際には、必ずコースに入れる場所だという。
ケビン 
見てのとおり、この一帯は田んぼや用水路、ハス池などの水辺と、斜面林や雑木林、鎮守の森といった森林が豊富に残っていて、高い生物多様性を保っています。さらに、集落を見守る産土(うぶすな)神社や水神を祀るため池、庚申(こうしん)塚に六地蔵、源頼政の伝説ゆかりの塚が点在するなど、関東地方の代表的な「フォークスピリチュアリティ」を感じられる場所が揃っている。
フォークスピリチュアリティは、よく「民間信仰」と訳されたりしますが、僕はその言葉を使いません。だって堅苦しいし、楽しくないでしょう。カタカナのほうがいいんです。スピリチュアリティとは、人の心の奥深くにある素朴な感覚や想いのことで、フォークとは、一つの民、一つの地域社会に住む人たちが共有する何かです。つまり、各集落の住人たちが共有するスピリチュアリティを、「フォークスピリチュアリティ」と呼ぶわけです。
── 
日本では水神信仰だが、西洋にも、各地の水源や水辺を聖なる場所として祀るフォークスピリチュアリティは存在する。一神教であるキリスト教が支配する西洋で、それはどのようにして生きのびてきたのか。
ケビン 
フォークスピリチュアリティは古来から、人々の日々の暮らしを精神面で支えてきたのです。だから、それを棄てろといわれても、生活のバックボーンがなくなるのが不安でできません。そこでどうしたかというと、祀る対象を、表向き、水辺の神や精霊からキリスト教の聖人に替えたのです。たとえばヨーロッパの街で毎年1回開かれる「聖○○の祭り」がそれです。名前だけ聖人にちなんで、中身は地域に伝わる昔のお祭りをそのまましているんです。そうやって、人々はフォークスピリチュアリティを守ってきた。
里山をフォークロアパークへ
ケビン 
結縁寺のため池も、池の中に島を造り、水神様を祀っています。祀り方は注連縄(しめなわ)とかヒサカキを飾る神道の形式ですけど、祠の中にいらっしゃるのは弁財天で、仏教の神です。つまり集落の人々の一番の関心事は水であって、つねに豊かな暮らしを約束してくれる存在でさえあれば、形や名前は神道でも仏教でもかまわない。みんな水神様なんです。面白いねえ!
── 
農業用水は現在、ポンプで地下から汲み上げられているので、結縁寺のため池の水が昔のように田んぼに使われることはない。それでも地域の人々にとって特別な場所だ。
ケビン 
東日本大震災のとき、液状化現象で池が大きく壊れてしまったんです。ヨシやスイレンなどの水生植物は全滅し、水神様の島も崩れて危険な状態になった。そこで、市が池の全面をコンクリート張りにして再整備しようとしたんだけど、これに地元の人々が猛反発した。「そんなことをしたら水神様が怒る」というわけです。結局、木材を使って改修することになったんです。もともとため池としての実用性はなくなっていたわけだから、水神様がいなければ、この水辺はとっくにつぶされていたかもしれませんよ。コンクリート張りを免れたおかげで、いまでは希少種のニホンアカガエルが繁殖し、カワセミも頻繁に姿を見せます。そこに住む人々と歴史的風土、そして景観と生態系。これらを物理的な面だけでなく、精神面で結びつけたフォークスピリチュアリティの好例だといえます。
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結縁寺は奈良時代の高僧・行基の開山と伝えられる古刹(上)で、付近一帯の地名でもある。山門の脇にある小さな池は地元の人々の手作りで、夏はハス、秋は彼岸花が美しい
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集落を見守る鎮守の森。南関東本来の植生が保たれ、スダジイやアカガシの大木にはフクロウが棲む
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ケビンさんは、この結縁寺一帯をこれから「野外フォークロアパーク」として活用する構想を温めている。自然と文化がみごとに融合した里山の風景は、世界中の人々にアピールできる魅力があると確信するからだ。
ケビン 
里山は、人々が暮らしを通して自然と上手につき合ってきた場所です。持続可能な自然とのつき合い方を民話や伝承から学べるのも、フォークスピリチュアリティのいいところです。30年近く歩き回っていますが、いつも新しい発見があります。どれほど先人の文化の知恵が詰まっているのか、想像もつきませんね。
Profile

Kevin Short 1949年ニューヨーク生まれ。上智大学卒。スタンフォード大学文化人類学生態学専攻博士号取得。日本の里山の自然や伝承文化に惹かれ、87年より千葉県印西市在住。大学で教鞭をとるかたわら、ナチュラリストとして各地でフィールドワークや観察会を重ね、講演、執筆活動にも力を注ぐ。著書に『ケビンの里山自然観察記』『ケビンの観察記──海辺の仲間たち』などがある。
CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

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